

【1】動機
私が海士町を知ったのは、昨年東京で開かれた‘アグリベンチャーカフェ’のときのことであった。そこで、岩本悠氏や島の農家の方々と出会い、対話する中で、多くのIターン者を引き込む島の魅力を肌で感じてみたくなり、島を訪れてみたいと思ようになった。その後、いろいろと調べているうちに、卒業論文の候補地に海士町を選ぶことにした。私の卒業論文のテーマは、<農業を中心とした地域活性化の成功事例について>であるが、第一次産業を重要視して「島から日本を変える」と謳っている海士町の取り組みが日本の他の地域の先進事例になり得るのかを調べてみたいと思い、島に行くことを決意した。
‘アグリベンチャーカフェ’の約1ヶ月後、大学院の授業に潜らせていただいて、さらにその後の懇親会にまで参加させていただいて、海士町長のお話を聞き、直接お話させていただく機会にも恵まれた。そこでは町長自身の口から海士町の取り組みについてお話を聞くことができ、質問もさせていただいたのだが、自身の勉強不足のせいで、全てを納得した形で理解することができなかった。そしてさらに同じような時期に、島根県出身の先輩が実は海士町の出身であったと知り、海士町への訪問が非常に楽しみになった。以上のような経緯で、私は部活のまとまった休みを利用して、岩本悠氏や海士町長に約束した通り、海士町を訪れた。
【2】今回の旅の行程
■12月27日■
妖怪だらけの境港を発ち、夕刻に島へ。観光協会でお世話になったIターン者の方、宿泊施設を経営する同じくIターン者の方にお話をきかせていただいた。
■12月28日■
地元の農家の方、産直施設やレストランの方々、(株)潮風ファームの方にお話を聞かせていただき、島出身の方のご実家で夕食をいただいた。
■12月29日■
朝から漁港を見学して、岩本氏に奇跡的に再会して、朝の便で島を後に。
【3】‘自分たちでなんとかする’という精神
泊まる場所も何も決めずに行った私は、島を訪れるとすぐに観光協会に向かった。観光協会には、友人の高校の先輩であり、お会いしてみたかった方がいて、私は幸運にもその方にお話を聞かせていただく機会に恵まれた。そのお話の中で特に印象に残ったのは、本当に海士町が日本の先進地域になり得るかという質問に対する答えの中にあった。海士町の取り組みはハード面よりもソフト面、地域の活性化を図る上での意識の面で日本の先進地域になろうとしているのではないかと思った。このことによって自分の中で納得できなかった部分がある程度クリアーになった気がした。海士町は離島から、自分たちで自分たちの地域を守っていくこと、そして既存のものに代わる新たな(もしかしたらある意味伝統的な)パラダイムを提案して、発信しようとしていると感じた。援助に頼らず、自立していけるよう自治体は努力していかなければならない。自治体に限らずこのことは農業従事者にも言えるのではないだろうか。
【4】自給自足の重要性
今回宿泊した施設のオーナーは島にIターンしてきて10年近くになるという。そのオーナーや、施設にインターンに来ている留学生の方との対話の中には様々な発見があった。
まず、海士町が離島でありながら湧き水が湧いていて計画的に農業ができている珍しい島であることが分かった。たしかに、半農半漁の離島と言われてみると、珍しい気がした。海士町では、畜産以外の農業と呼べるものがほとんど存在しない、隣り合う2島を含めても十分に賄えるだけの農業生産が可能だそうだ。滞在中の食事は、宿泊施設もレストランも含め、ほとんどのものが自給されていた。農業が(農地が)存在しないということは、食料は基本的には島外から買うしかない。(島外から買う方が生産するより安いため、農業は存続しない)そうなると、実は状況は今の日本列島に似ている。仮に島に物資を輸送する手段が海上路だけだとして、荒波で1ヶ月も船が欠航、本土から食料が届かないとなれば大変なことになる。交通手段に限らず、気象災害や国際情勢の関係により、これと同じことが起こる可能性が、食料自給率がカロリーベースで40%を切っている日本という国家に無いと果たして言い切れるだろうか。その点、海士町のように生産能力があり、自給自足できていれば、仮にパソコンやテレビが使えなくなっても生きていくことはできる。そのことがどんなに大切なことなのか、離島に来てみてよく分かった。しかも、生産能力に乏しい離島と違い、水にも土地にも天候にも恵まれ、農業生産に適している日本列島において農業生産が放棄されようとしているのである。そのことがいかに大きな問題であるかについて改めて感じた。
【5】発展過程の海士町
島の取り組みは様々なメディアによって過度に期待されている面があるかもしれない。しかし、改革の成果はすぐに出てくるものではない。東京でお会いしたとき、海士町長は、様々な島の取り組みはまだ多くは過程の段階で、成果が出るのはこれからだと断言していた。実際に島に来てみて話を聞いてみても、発展というよりは、現状維持、なんとかマイナスにならないようにまずは努力するというようなイメージも持った。我々も、「発展を目指し、結果、現状を維持できている」というような緩やかな感覚で見守る必要があるのかもしれない。また、外部に向けて発信されている情報が必ずしも島全体で共有されているとは限らない。「浮いている」というと言い過ぎかもしれないが、Iターン者や行政の先進的な取り組みについては島民よりも外部の、海士町に興味を持つ人たちの方が詳しいという状況は少なからずあり、島民の中には、テレビで観て島の取り組みについて初めて知る人がいるなどという状況は珍しくはないようだった。海士町は、歴史的に外部との交流が活発な地域であったようだが、他の伝統的な農村と同じように、良いとか悪いとかではなく、このような状況があるという事実は認識しておきたいと思った。そして、だからこそわれわれは、一部の取り組み、一部の人間だけを見て島全体を評価するべきではないと思った。
【6】Iターン者にとっての島の魅力
多くのIターン定住者を生み出した島の魅力とは一体なんだろうか。この謎を解くことは私にとっての重要な課題であった。東京でのイベントで島の農家の方のお話を聞かせていただいたときは、「何か彼らを惹きつけるものがあるはずだが、自分たちにはよく分かっていない」というようなことをおっしゃっていた。島に住むある人の話によると、美しい観光資源なら海士町よりも隣り合う2島の方が圧倒的に恵まれているそうだ。それならば、‘美しい自然’以外に大きな魅力があるに違いない。
以上のような私の疑問に対する答えは、あるIターン者のお話の中に隠されていた。その方は、自分の夢を実現できる場所は無いかと探した結果、海士町にIターンすることを決意したらしい。景気の悪くない世の中においては、給料は安くとも、自分の夢が実現できる場を求める人が増える傾向にあるのだとういう。そうした夢に対して賛同してバックアップする体制こそが大切なのではないかとその方は語っていた。多くの若手Iターン者の方々を見ていても、彼らが輝けるような立場や役職で働いている。質の高い教育、第一次産業の活性化、都市農村交流などなど・・・。彼らは島を活性化することにより大切なメッセージを内外に向けて発信しようとしている。このような仕事・生き方に魅力を感じる人々にとっては海士町はまさに最高の環境であろう。豊かな自然、温かい人々と併せ、これこそが海士町の大きな魅力の1つであるようだ。
【7】島の農業について
滞在2日目には、地元の農家の方にお話を聞いてみることにした。朝からアポを取ってみるが、専業の方々は皆年末の餅つきで忙しいようで断られ、さらに、平日であったため、兼業の方々は皆働きに出ている。それでもとりあえず、突撃インタビューをしてみようと試みて、突然降り出した雨にも負けず外を周っていると、奇跡的に家の庭にいる農家の方を発見して、なんとかお話を聞かせていただくことができた。
この農家さんは私を格納庫に連れて行ってくださり、お話を聞かせてくれた。このお話を聞いていてまず思ったことは、やはり注目の的となっている海士町といえど、他の地域に例外なく、農業が厳しいという状況は基本的には変わらないということだ。私は今後の農業に対する画期的な解決策があるのではないかと勝手に思っていたことを反省した。米農家を中心に、作れば赤字というような状況がほとんどで、先祖代々の土地を守るため、辛うじて稲作を維持しているというのが現状のようだ。このような、典型的とも言える米農家の姿を島でも見ることができた。この農家さんは町の先進的な取り組みや農業の先行きに対してやや悲観的だった。100%支持される政治などあり得ないのだから当然といえば当然だが、島内で違った視点から島の取り組みについて意見を聞くことができて本当に良かったと思う。あまりにも有名になった海士町でさえ、全てがうまくいっているわけではない。苦しみながら、試行錯誤しながら努力している。だから、他の地域には、「海士町は特別だから・・・。」と諦めてほしくないと思う。
たしかに、今のままの農業では、そして現在のような豊かさの基準でものごとを考えるのならば農家は豊かな暮らしはできないのかもしれない。しかし、島の食料を自給している彼らがもっと誇りを持てるような社会になればいいと心から思った。農業の活性化に対する私の意見は、本レポートの趣旨に合わないため割愛させていただく。
【8】島の企業について
第三セクターである島の産直施設に立ち寄ったとき、そこに並べられている農産物が非常に他品目であることに驚いた。12月であるのにも関わらず、海産物も含め、あらゆるものが揃っていた。その施設の、Uターン者である女性が仕事の合間を縫って、お話を聞かせてくれた。
『島の人たちがどう思っているかは知らないが、私たちは少しでも島が良くなるようにと思い努力している。お兄さんこういうのいろいろ勉強しているんでしょ?何か良い事例があったら教えてね。』
貪欲に知恵を求め、試行錯誤を繰り返しているその姿からは頼もしさと同時にただならぬ必死さを感じた。
その後、今度は「隠岐牛」のブランド化に成功した、有限会社『隠岐潮風ファーム』の方のお話を聞くことができた。廃材で肥料を作る際に必要となる家畜糞尿を自ら調達するために「構造改革特区」を利用して農業に参入して牛を飼い始めたこの企業は、島の畜産の底上げをするため、 肉牛のブランド化に取り組むようになり、会社設立から3年目にして、松坂牛と同じランクの肉牛を輩出するまでになった。 自分自身が畜産・その流通・ブランド化などにあまりにも疎かったためかもしれないが、そこで聞かせていただいたお話は新たな発見の連続だった。
テレビでの報道により、この「隠岐牛」は島の活性化のため、ある種の使命感のようなものを背負いながら取り組まれてきたのかというイメージを持っていたが、実際は前述の通り、初めはただ単に家畜糞尿を調達するために自社で牛を飼い始めたという経緯があり、うまくいきそうになるにつれて行政が応援してくれるようになったのだという。だから、本人たちは、使命感のような堅苦しいことは考えていないようだ。実際のところ、自ら調達している牛糞で作った肥料は農家というより家庭菜園用に好評で、売り上げも順調なようだ。さらに、地元の農家からいただいた稲わらを牛に食べさせ、その代わりに牛糞で作った肥料をその農家の農地にまいているそうだ。完全なものではないが、まさに循環型農業だと思った。多くの農家が家畜の糞尿処理に苦労して、環境問題としても深刻になっている昨今の状況の中で、初めから家畜糞尿のはけ口が確保されているというのは大きな強みであるといった発言は印象的だった。この「隠岐牛」には、‘島生まれ、島育ち、幻の黒毛和牛’というキャッチフレーズが用いられている。‘島生まれ、島育ち’は決してハンディキャップではないと力強く語ってくれたこともまた印象に残った。
そして今回も懲りずに、島の農業の取り組みは先進的なのかと問いかけてみた。先ほどは農家の方に悲観的な意見をいただいたばかりであったが、この方ははっきり、
『農家の意識は相当変わった。島の農業は間違いなく良い方向に来ている』と断言した。私が初めて海士町について知ったのは東京での、農家の方々を招いてのイベントであったが、今まではそれが例え一部であれ、農家の方々が島をアピールするために東京まで出て行くというようなことはあり得なかったと教えてくれた。そして、地元の人たちだけではこうはならず、やはり結果的に多くのIターン定住者や訪問者を招き入れることに繋がった行政の取り組みは非常に意味のあるものだとおっしゃっていた。今回は限られた人数の方々にしかお話を聞くことができなかったが、様々な立場からの意見が結果的に聞けたことは、私にとって大きな意義のあることであった。今後も、偏見を持たぬよう努めたいと思う。
使命感のようなものがあるにしろ無いにしろ、活発な企業の取り組みも島を大きく支えているのはたしかである。特に、稲作を始めとして混迷を極める農業の世界において島の畜産業が大きな成果をあげていることは頼もしく思った。
【9】教育の場としての海士町
今回宿泊させていただいた施設のオーナーに、島の野生の果物や海草で作った果実酒をいただいた。オーナーは、珍味を出すのではなく、野性のものを提供を提供することにこだわる。「これ、何ですか?」と飲食を通して自然に興味を持つ状況を理想としているらしく、これには非常に感動した。私が飲んだのは草いちごやグミ類の果実酒であったが、無意識のうちに、それはどのようなもので、どこに生えているかと気になった。辺りはすっかり暗くなっていたが、「それでは実際に採りに行ってみよう!」と言った日にはきっと私はその植物を忘れないことだろうと思った。素晴らしい。
先輩の車で島の中を周っている途中、なんと、道路上で牛に遭遇した。しかし、車が近づくときちんと道を空ける。これはまさしく都会では味わえない感動である。都市農村交流や観光地化に取り組む多くの地域では、田舎の人にとっての‘日常’が都会の人たちにとって‘非日常’であるという点に着目している。しかし、作られた‘ホンモノ’を消費してもらうことに必死になり、そこに人が住んでいるということを無視しているように見える地域がいくつも存在する。世界遺産等に登録されることは名誉なことであって、観光収入が増加するというメリットがある反面、そこに住む人々の生活様式を規定してしまうというデメリットも有する。海士町の取り組みは、飾ることなく、そこにある資源を活かしたものが多いと感じた。都会の人にとっての‘非日常’や都会では学べないことを学ぶ場を提供する海士町の取り組みに今後も期待したいと思った。
【10】まとめ
今回、<農業を中心とした地域活性化の成功事例について>という卒業論文テーマに則り、候補地の1つである島根県海士町で聞き取り調査を行った。日本で一番注目されていると言っても過言ではない島根県海士町は、それゆえに良くも悪くも、多くの報道で私が抱いたイメージと事実がかけ離れている部分があるように感じた。
海士町では多くの魅力的な人々によって多くの先進的な取り組みが行われている。その当事者の方々にお話を伺うと、多くの方が、危機感があると口にするし、その姿勢からもそれを感じ取ることができた。海士町が、‘島から日本を変える’のであれば、まさに、1つの離島が危機感によってここまでできるのだということを発信できるのだと思う。他の地域の人々には、『海士町が特別だから』、とか、『魅力的なIターン者が求心力になっているだけ』といった偏見を抱いて諦めてほしくないと思う。島の農業も特別にうまくいっているというわけではない。本土向けに生産するのであれば、隠岐牛のように大きな付加価値を生み出さない限り、離島であるという点で不利であるのは否めない。しかし、島ではほとんどの食料を自給している。離島よりも気候や土地、水の条件で絶対的に有利である日本本土で農業が放棄されようとしている。このことについて海士町への滞在で改めて問題意識を強くすることができた。
海士町の魅力は、豊かな自然や人々の温かさに加え、夢を実現するために努力できる場であることが大きいだろう。小さな組織での大きな仕事や、やりがいを得られるような仕事をするような生き方を求める人々が能力を発揮しやすい場所であるということが海士町の魅力なのである。東京で海士町長にお会いしたとき、町長は『海士の多くの取り組みはまだ発展途上である』と言っていた。様々な取り組みがすぐに成果をあげるとは限らない。今回島を訪れてみて、5年後の海士町がどうなっているか楽しみであるというのが素直な感想である。ここで卒論を書くにしても書かないにしても、この島を訪れてみて本当に良かったと思う。これから島を訪れる人には、是非、一部の魅力的なIターン者の方々だけに着目するのではなく、島の人々や島そのものの魅力を存分に味わってほしいと思う。今回は現地で本当に多くの人々にお世話になり、彼らにまた会いに行きたいと思えるというこの状況が何より嬉しい。今回お世話になった全ての人に感謝の気持ちを述べたいと思う。
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早稲田大学教育学部 社会学科地理歴史専修3年 松橋 拓郎 |