
飯古定置網事業部は、土曜日は隔週で漁に出る。取材をお願いしたその日はちょうどお休みに当たってしまった。ふだんは忙しいお父さんたちが久々に家に居る日。申し訳ないなぁ、と思いながらアポイントを取るも・・・朝の7:30という指定をもらい、内心プレッシャーのスタッフ。これが漁師さんの体内時計なんだなぁ、と実感。
伊藤さん宅でお話を伺うつもりで、とりあえず崎漁港まで車を走らせる。緑のトンネルを抜け出て着いた早朝の崎地区は一段と空気が澄んでいる。道を訊こうにもまだ人影まばら。向こうから来る背の高い二人組の男性に声をかけると、その人が伊藤さん・佐伯さんだった。子どものようによく笑う伊藤さんと、はにかむような笑顔の佐伯さん。二人ともよく日に焼けている。なんで、オレらが取材なんか・・・運悪く宿題を受け取ってしまった小学生のように、あんまり気乗りしない調子で、膝でも抱えるようにして答えてくださる。
伊藤さん、佐伯さんとも飯古定置網事業部の漁師さん。伊藤さんは15年間ホテルに勤められたあと3年前に海士町にIターンしてきた。昔から海が大好きだったので、海士町の漁業従事者募集の知らせにピンときたのだと言う。3回、事前に訪れて確認した。仕事で自分を試し、子どもの小学校を訪れ、地域の人と言葉を交わし・・・結果、漁師は重労働ではあるけれどもやっていけそうだ、という感触を得たのだった。
一方の佐伯さんも3年前に海士町にIターンされた。それまでいろいろやって、最後はサラリーマン。釣りも海も特に好きではなかったけれど、まったく違う仕事がしてみたくて・・・海士町のことは池袋サンシャインの「ふるさとフェア」で知ったのだという。そこで出会ったのが海士町役場交流促進課の現・青山課長。なぜか佐伯さんはこの課長に声を掛けられ、海士町を見学に行くことになったのだ。職場、学校、医療施設・・・「とりあえず生活するだけのものはそろってるわね」とは奥さん。
ところで佐伯さん、実はひどい船酔い体質だそうだ。定置網漁の体験をした際にも、やはり酔った。5分で、酔った。それなのに、なぜ、漁師に、転職?「体験の後、飯古の社長に膝づめで説得されました。船酔いも、慣れだから、絶対、できる、って。それで、やれるだけやってみようと」家族と、話した。結局、1回海士を訪れただけで、移住を決めた。奥さんは、大丈夫だったのだろうか。「そうですね。新たな気持ちで何かに取り組んでほしかったみたいですよ。」
実際に住んで働いてみての手ごたえを伺うと・・・「うーん・・・まだまだのんびりできてないかなぁ」と苦笑いするのは伊藤さん。「仕事覚えるのが大変だったし、地域の行事もあるし」「そうそう、吞み会がやっぱり多いんだよね、昼から始まっちゃったりとか」そんな言葉を裏付けるような二人を見かけたのが、後日の町内綱引き大会だった。飯古建設チームは入場行進のときからすでになおらいモード、それでしっかり結果も出して健闘の第3位。そんなガテン系の男性ばかりのチームでも、元ホテルマン・元警備員のお二人はすっかりなじんでいた。
佐伯さんを海士町に誘った青山課長から、当時の話を聞いてみた。「佐伯さんはなぁ・・まぁ、ほんと船酔いがひどくて・・・(笑)・・・しばらく俺も船につきあったけど・・・結局、子どもさんが言ったみたいなんだよ。漁師の父さんがいい、ってね。決め手だったみたいだよ。」
家族とともに生きる場として海士を選んだお二人。慣れない仕事の大変さは、半端ではなかっただろう。その後ろ姿を見て、きっと3年前よりずっと逞しくなられたのだろうな、と眩しい気持ちを覚えた。
